デイキャンプに行った
友人が心配してくれて、昨日デイキャンプへ連れ出してくれた。
顔を見られるのが怖くてなかなか外に出られずにいたが、とても楽しかった。
周りには人がいなくて、静かで、焚き火の火を見ながら料理をしてもらい←、そして美味しい食べ物をたべる。
穏やかで豊かな時間だった…
ちなみにステーキや焼き芋やパンとかも食べたりしたんだけど、個人的に一番美味しかったのはトマトの丸焼き!(トップバッターだったからなおさら美味しく感じた!)
トマトにクレイジーソルトみたいなスパイスがかかっていて、トマト自体も柔らかくて美味しかったのだが、スパイスと下にたまったトマトの汁でできたスープが逸品。
バターも入っていたみたいでコクと酸味とスパイスのバランスちょうどよかった◎
寒い日にぴったり。
これに焼いたパンをつけて食べたら最高だった …家でも絶対作る。
そして昨日友達に話を聞いてもらって思った。
楽しいことのために生きる。でもいいのかもしれない。
矯正したら歯並びはキレイになるけど、確実にしゃくれる。
そんなことわかっているのであれば、それに固執して悲しみに暮れるのではなく、他の楽しいことを見つけて生きていった方が絶対にいい。
それにずっと塞ぎ込んでいたらデイキャンプの楽しさを味わうことはできなかった。
友人に感謝。私の周りには大切な人がいることを思い出させてくれた◎
捻くれていく自分のままでは 近しい人まで離れていってしまう。
そんなのはいやだなぁ。
顔が変わるのはもう私の力ではどうにもできないところもあるけれど、メイクや服装、内面は自分でどうにでもできる!自分の力でどうにかできるところを頑張って。も自分が生きていくのに耐えきれなかったら整形しよう笑
人生を楽しむのも努力だな!以上!
人に怯えている
この世は優しい人で溢れている。
ニュースでは残酷な話題が多く取り上げられているが、私の周りを見ていると優しい人ばかりだということを痛感する。
それでものこわいのだ。
私の顔を見られたくないあまり、反対に私のコンプレックスである部分を見てしまう。
正直、他人の顔には興味ないのだ。
私が気にしているのは自分の顔だけなのだ。
もしかしたら今この方が顎を触っているのは、私の顎が気になるからではないのか。
実際に相手がどう思ってるかなど分かっているはずもないのに、仕草や目線から勝手に判断してしまう。
そして勝手に自分で落ち込む。全て自分で自分を苦しめている行為に過ぎないのだが、それをわかっていても止めることができない。
だから私は人が優しいことはわかっていてもどうしてもこわいのだ。
でも、じゃあどうしたらこわくなくなるのか。
周囲の目を気にせずありのままの自分を受け入れる、好きになる。ことなのだろうか。
そう考えると確かに今の私は自分がどう見られているのか周囲を気にして、しかも自分自を好きになれていない状況である。
じゃあ、どうしたら好きになれるのか?って考えた時にやっぱり私は自分の顔に嫌悪感を抱かなくなりたいと思ってしまうのである。
そうなるともう整形しかない。親は泣くのだろうか…
今日も死にたいが生きたい。
今日も人を愛したいが、人がこわい。
自分を好きなりたいが、嫌悪感。
でもやっぱり今日も今日とておい食べ物は美味しいし、サンボマスターの曲は最高である。そして金もかかる。
私は普通になりたいのだ
25歳、女性、ニート
現在の私である。
まさに人生のドン底。
できることならこの顔を見られず生きていければいいのに、といった状況。
しかしこのままいつまでも過ごすわけにはいかない、どうにかこの状況から抜け出したいと思い、自分の今までの生き方をここに書いて整理してみることから始めてみる。
コンプレックスに関する今までの人生のまとめ的な感じなので、長いし暗め。笑
同じような気持ちの人がいたら嬉しいような切ないような。
私はずっと顔のあるパーツに強烈なコンプレックスを抱いていた。
それは歯並びである。私はずっと出っ歯だった(今もそうであるが…)。
コンプレックスを抱き始めたのはおそらく小学校6年生くらい。
当時仲良くしていた男の子の友達がいたのだが、そのほかの低学年の子たちと仲良くなり、その低学年の子たちともつるむようになった。
そうすると、その男の子の友達からあるときから「出っ歯ちゃん」とからかわれるようになった。その時期はお笑い芸人のデッカチャンが流行っていたときで「出っ歯ちゃんだよ♪ 出っ歯ちゃんだよ♪ 出っ歯ちゃん音頭で、ピーン!」というデッカチャンマーチをアレンジしたからかいかたをされていた(強烈にショックだった出来事はなぜこうも忘れられないのだろうか(苦笑))。
周りの友達がどう思っていたのかは不明だが、とにかくそのからかいをみんなに聞かれることが恥ずかしくてものすごく辛かった。「ちがう!わたしは出っ歯じゃない!」なんて否定はできなかった。だって私は出っ歯なのだから。否定のできない事実でからかわれるのがやるせなかった。仕返しもできなかった。
わたしはそのころ、「交通事故にでもあってこの前歯が吹っ飛んでしまえば、きれいな歯並びになるのに…」とか、「そうでなければあの子(からかってきた男の子)がいなくなれば平穏な日々が訪れるのではないか…」とか本当に自分でもトチ狂ってるな笑、と思うような発想をしていたし、毎日そう願っていた。
そんな日々も小学校の担任の先生と、別の友人のおかげで解消された。その友達が先生に言ってくれたことで、先生が男の子を叱ってくれたのだった。
しかし私が「出っ歯」だという事実に気づかされ、またからかわれるのではないかという恐怖感はずっと消えなかった。写真に映るときも一生懸命口を閉じていた。
そして中学にあがり、私は一生懸命生きていた。明るく振る舞って面白く過ごしていれば、みんなと仲良くできると思い明るく生きていた。もちろん楽しいこともいっぱいあった。学園祭とか、帰り道とか、休み時間とかすごい楽しかった。赤面症で「りんごちゃん」と言われたこともあったがそんなのは全く気にしていなかった。
母親に「歯並びを治したい」と勇気をもって相談し、矯正歯科で検査までしてもらったのに、「親知らずがまだ生えていないのでもう少し様子をみましょう」みたいなことを先生から言われたのを覚えている。検査で口を開けたとき「あの針金を私もつけるのか…さようなら…」と思った。誰にさよならなんだよ。笑 しかも歯並び直したかったのにもかかわらず、針金つけなくて済んだという謎の安心感を感じたしすごい矛盾だ。
でもやっぱりからかわれる日が来てしまった。シンプルに「この出っ歯!」と言われたときはショックで耳の後ろがゴウンゴウンするような感覚がした。そのあとはやりとりにもまともに答えられず、家に帰ってからもずっとソファに突っ伏していた。まるでロボット笑
また同じようなことを言われるのではないかと思い、その友達のことをしばらくの間避けていた。しかしそんなからかいを受けたのは、その一度きりだったので時間が経つにつれ明るく振る舞えるようになった。
高校時代は優しい子ばかりに囲まれ、人の容姿についてからかう友達はいなかった。
スクーターで通学していたので、行動範囲が広がって楽しかった。バイトが原則禁止だったのでお金はなかったが、それでもいろんな場所に行くことができた。部活を一緒にがんばったり、受験勉強も一生懸命やった。
そして大学生活もまた、優しい穏やかな子に囲まれ平穏に日々を過ごすことができた。
みんなで飲みながら鍋をつついて”逃げ恥”を観ていたのがとても印象的…もう一回みんなで鍋したいなぁ。
大学時代はバイトもとても楽しかった。
しかし大学はみんなキラキラしていて、男子学生が少し苦手だった。
実は中学生の頃からイケイケの男子学生が怖かった。嫌いというわけではない。からかわれたりいじめられるのではないかと心の奥底で怯えていたのだ。
そんな私にも彼氏がいたことがある。今思えばとてもうれしい、幸せな出来事だった。
みんな穏やかな優しい人ですこし変わっている人が多かった。甘酸っぱい思い出だ。
しかし大学入学からは一切彼氏ができたことがない、というか、そう言った機会があったのにも関わらず自分から縁を切ってしまっていた。そこにも私のコンプレックスがあった。好きだと言ってもらえたのにも関わらず「出っ歯だなぁ笑」と思われながら付き合ってもらうのは辛い。これを治したらもっと ”キレイになれる” んだと思い、そっとお付き合いを断っていた。後悔しかないが当時はそう信じてしまっていたのだからしょうがない。私の容姿を欠点を見つけられて嫌われたりしたらもう立ち直れない。という思いがあった。プライドが高く臆病だったのだ。そして自分のことばかりで、好きだとか気になていると思ってくれている相手の気持ちなど全く考えていない、とても自己中心的だったのだ。
そして社会人になり、祖母が一所懸命貯めてくれていたお金を就職祝い金としてくれたのだ。とてもとても感謝している。
就職後は一生懸命職場に慣れようと明るく振る舞っていたが、やはり私のコンプレックスから逃れられない場面が訪れてしまった。職場の先輩が陰で「ピカチュウ」と私のことを呼んでいた。可愛いじゃないか!いいじゃん!と今は思う気もするがその理由はやはり2本飛び出た前歯だった。いままでの記憶とショックが蘇り、その頃から性格も暗くなり始めていた。
程なくしておばあちゃんがくれた就職祝いをつかわせてもらって歯の矯正をしよう!と決断した。これで私は ”キレイになれる” そう強く思っていた。
そして現在、ニートである。
そう、私は ”キレイになれ” てはいない。2019年の4月に始めて、途中までは本当に一生懸命やっていた。歯並びがキレイになれば ”キレイになれる” そう思って本当に熱心にやっていた。しかし異変を感じたのは2020年の7月あたり。なんだか顔が長い。突っ込まれたこともあったが矯正器具であるインビザラインにより影響だろうと感じていたのでそんなツッコミ全く気にしていなかった。しかし7月に久しぶりに友人に会ったとき、顎を触る仕草をよくしていた。私の笑い方も大げさだったのかな。と思い少し気になり始めた。そして確信に変わったのは2020年の8月。尊敬している会社の先輩に誘われて運動をしていたとき、やはり顎をさわる…
そして家に帰り確信した。顔が伸びて顎が伸びてる出ていた歯が引っ込んできたことで、自分の真の骨格を思い知らされてしまった。たしかに、たしかに”歯並びは”きれいになったのだ(厳密にはまだ途中なのできれいになっている、だが)。なのに私は歯並びをキレイにすれば”顔がキレイになる”とばかり信じ切ってしまっていた。が、そうではなかった。
むしろ面長だった自分の顔にもどり、顎がかなりたくましいことに気がついた。しゃくれている。
本当に泣きたかった。笑っちゃう人もいるだろうが当の本人である私は全く笑えない。
いままで出っ歯だったのを治したくて、これをキレイにすればと信じてがんばって生きてきたし、恋愛をする機会もあえて遠ざけていたのに。信じていた未来がこうも違っているかと絶望している。
過去の自分が思い描く今の自分はもっと自信に満ち溢れ、笑顔で過ごせているはずだったのだ。なのに顎がこんなに強調されてしまうなんて。
これから矯正をもっと進めていけば、より顎が強調されるのではと思うともう悲しい。
いまでさえもうなんか地獄のミサワのキャラ並の顎ボリュームである。
だからといって今の出っ歯の状態もよくない。抜歯もしていて歯抜けだし。
戻るも地獄、進むも地獄ではないか。(未来はわからないので決めつけは良くないが)
もうこれ以上容姿でからかわれたりしたくなかったのになぁ。
そんなことを考えていたら他人に自分の顔を見られるのが怖くなってしまった。
仲の良い友人には特に会えない、と思ってしまう。それは以前の自分の姿の記憶で留めておいてほしいからなのだ。ここでも私の”好きな人には嫌われたくない精神”が発揮されている。本当はすごく会いたいし、みんなで鍋パしながら逃げ恥みたい。ドライブとか、美味しいご飯食べたりとか、ライブ行ったりとかしたい。色んな話もしたい。語学学校で出会った友達にも会いに行きたい。でもできない。どうしても顔を見られたくないと思ってしまうのだ。
もし未来が見えるのならぜひ見てみたいものである。でも、そんなことできる人は超能力者しかいないし、未来を変えるための行動をとれるのは今の自分しかいない。
私は家族が大好きだし、友達も大好き、大好きな他人に明るい気持ちで接したい。
しかしこの状況をどうしたらよいのか分からない。強いメンタル手に入れるしかないけど、どうやったら強いメンタルって手に入れられるの。 やられたらやり返す、みたいな常に喧嘩腰でいればいいのか。それはさすがに違う。
働きたいが怖い。そんなこと言ってたら一生友達にも会えない。いやだ。馬鹿にされるのかな、やだな。こんなことばかり考えている。人に怯えている。自分が可愛いだけなのか。
ここで言いたいのは、私は誰のことも恨んではいないのだ。
今まで出会った友達に極悪いじめっ子などいなかったし、出会ってきた人は素敵な方が多かった。
とにかく歯の矯正は進めていこうと思う。これであごがのびて、地獄のミサワより長くなったら、それはもうそのときにいろいろ考えよう。今は色んなことができるんだから。私はチヤホヤされるわけでも、ばかにされてからかわれるわけでもない、普通の顔になりたいのだ。
そしてなにより、大好きな人のために生きたいのである。自分のことは別に好きでもないけど悪くないな、程度で、でも好きな人のためならめちゃくちゃ頑張れちゃうみたいな自分になりたい。
あーあ、こんな生き方していてもお腹は減るし、食べ物は美味しいし、金はかかる(税金)
今の自分にできることからやっていこう。
これからもこうやって文字にしていこうかな。
以上